2013年10月29日火曜日

涼宮ハルヒの憂鬱 角川スニーカー文庫

著者:谷川流
発行所:角川書店
発売元:角川グループパブリッシング
p.34 l.11 “すべからくダメなのだ”→“当然のごとくダメなのだ”
p.97 l.10 “すべからく謎的存在なのだ”→“ことごとく謎的存在なのだ”
p.122 l.7 “涼宮ハルヒという固体”→“涼宮ハルヒという個体”
p.166 l.14 “もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないということを、どうやって否定するんですか?”→“もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかということを、どうやって否定するんですか?”or“もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかと問われれば、どうやって否定するんですか?”
p.230 l.12 “我観測す、ゆれに宇宙あり。”→“我観測す、故に宇宙あり。”

1 件のコメント:

  1. >p.166 l.14 “もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないということを、どうやって否定するんですか?”→“もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかということを、どうやって否定するんですか?”or“もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかと問われれば、どうやって否定するんですか?”

    少し解説します。(ボクは素人ですから、ボクの解説を過度に信用しないようご注意ください)
    「もし」という言葉には2つの意味があります[参考文献:大辞泉]。
    (1) 現実になっていないことを仮に想定する。(あとに仮定の表現を伴う)
    (2) 確実ではないが、充分ありうる。(疑問や推量の表現を伴う)
    “もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかということを、どうやって否定するんですか?”という文では、「もし」は(2)の意味で使われています。この修正案は、元の文に一文字加えるだけで文法的に正しくなるという点では良いのですが、しかし1つ問題があります。現代の日本では、「もし」は(2)の意味では滅多に使用されないのです。実際、(2)の意味を知らない日本人も多いです。それゆえ、小泉一樹が会話の中で「もし」を(2)の意味で使うというのは違和感があります。
    一方、“もし、あなたを含める全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないかと問われれば、どうやって否定するんですか?”という文では、「もし」は(1)の意味で使われています。(1)の意味は現代日本でも一般に用いられているので、違和感はないのですが、この修正案は元の文からかなり変更されてしまっています。
    このように、2つの修正案はいずれも一長一短があります。

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